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ともみ

Author:ともみ
能天気日本女の”とも”ことワタクシ、冷静沈着ポーランド男の”まーちん”こと私の旦那さん。

イギリス在住ながら日本とポーランドでの2つ結婚式を無事に終え、楽しく2人暮らし。

海外に住むこと、勉強すること、働くこと、家庭を築くこと。私なりの女としての、人としての素敵論をのほほんな結婚生活と共に。

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日本人の私とポーランド人のまーちんが日・ポ・英3カ国(+ちょっとスイス)跨ぎ、2年かけて準備した2つの結婚式。英語を話さない2家族を巻き込んだ結婚式とその後の2人は。。。
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日本披露宴リポート2最愛のプランナーTネエ
2008年2月11日、ポーランドでの式からちょうど
半年後の祝日の月曜日、私達は日本の親戚・友達・恩師
の皆さんを招いて披露宴を開く事ができました。

婚約してから2年と1ヶ月、会場を決めたのは1年半も
前の事。こうして書いてみると、本当にじりじりと準備
してきたものだなーと感心してみたり^^;




************************

2月4日に1年半ぶりに日本に降り立つと、




さむっ。。。














スイスから帰って来たのに、、、、日本の方が寒いかも。。。


そして、空港から会場へ直行、私の最愛プランナー、Tネエ
さん初め、ヘアメイク、写真、花、司会の各スタッフさん
達との連日の怒濤の打ち合わせが始まりました。






やはり始めはTネエの事を紹介しない事にはレポートが始ま
らないよね。

彼女はエルダンジュのウェディング部門を牛耳る陰の大ボス
だと思う。彼女の眉がぴくっとあがれば、時代が動くよ
ふふふ。



いや、それは冗談としても、年齢不詳の彼女がものすごい
キャリアプランナーである事は間違いない。ものすごい存在感
と頼りがいのある貫禄に私はずっと年上だと思っていたのに、
その後の打ち上げでの貴重な情報によると私より少し上なだけ
のよう。(<ーそれでも真相は未だに明かされていない。。。)
年を取って見えるとかじゃない、ただ単に自分の年であれだけ
会社で高いポジションに就いているとは思わなかったから。
本当にすごい人だ。



しかし彼女の仕事ぶりを見ていれば、それは当然の評価だと納得
させられる。




見た目はいかにもキレるキャリア女。パンツスーツにピンヒール
がものすごく似合うの。ずっと思ってたんだけど、ちょっと神田
うの
に似てる。でもタカビーじゃなくて、頭が良くて、面倒見が
めちゃくちゃいい姉御肌うのね。そんなのは、もううのじゃない
って言う意見は受け付けませんよ。



この人は、私が2年近く前に披露宴会場の検索をイギリスから
インターネットで始めて、ブライダルフェアの予約の問い合わせ
をたまたま受け取って、フェアの担当をしてくれた人。



そしてTネエの熱意とカリスマを肌で感じた私と両親は、それまで
の考えを100%変え、エルダンジュに会場決定。

その後の1年半、私は彼女をメールでずっと連絡を取り合って来た。
詰めは帰国してからの1週間でしたけど、ほとんどの事項の決定
は彼女が細々と送ってくれる沢山の写真付きのメールでしてきた。








日本の披露宴の前の3-4ヶ月、私にとってかなりきつい期間
だった。新しい仕事は大変だったし、凝り性の私は手作りは
まーちんはもちろん、プロにも任せたくなかった。それに日本の
披露宴でのゲストは私の知り合いばかり。しかも手配は日本語で。
だからまーちんは手伝える事が無かったと言う訳。今はインター
ネットでなんでもできるので自分の家族にも頼むのは悪い気が
してほとんど自分で背負ってた。2次会を友達が助けてくれた
のは本当に涙が出そうなほど嬉しかった。


そんな中で、Tネエさんは全力でサポートしようとしてくれた。
仕事が本当につらいって落ち込んでいる私を励ましたくて、
当は黙っていようと思っていたと言う事
を、式の1ヶ月前に私
に話してくれた。


それは6年も天職だと愛し続けて来たプランナーとしての仕事を
もうすぐ辞める事
になると言う事。Tネエの才能と実力は会社に
とってとても重要な物で、他のいろいろな運営の役割を担うよう
になるうちに、プランナーとして新郎新婦のそばにいることが、
時間的に無理になって来ている。いつでもそばで支えてあげら
れないならプランナーは続けられない、プランナーでいる意味
がない。それがTネエの出したプロしてのけじめだった。エル
ダンジュの立ち上げから関わって、ひとつひとつを作り上げて
来た彼女はプランナーを卒業してもそこに残る事を選んだ。

いつ辞めるのなか。。。と思って読み進めた私の目に入って
来た言葉に大げさではなく、私は言葉を失って、涙があふれて
来た。










「ともみさんとまーちんさんの
披露宴が私のプランナーとしての
最後の仕事です。」











彼女は半年も前に私達が最後のカップルだと決め、それを全く
口にせずに私達を支えてくれていた。本当に感動したし、これ
まで私はちゃんと心を開けて来たのか。。と自分が恥ずかしく
なった。私は商売をしている家族や親戚がとても少なく、自分
自身、学問の世界から外へ出た事が無いので商売に対して、
不信感が拭いきれなかった。どうしても疑いの目で見てしまう。
利益を上げる為に、そう言っているのじゃないかと。


私は『限られた予算の中で、ゲストの皆さんにできるだけのおも
てなしがしたい。その為には自分の目だけを信じて、いい物を
一番いい価格で選びたい』と思い、自分の物は手作りしたり、
ネットで情報を集めていた。心のどこかで、自分たちやゲスト
の為にできる事と、会場側にとって最良な事は相反するとまでは
いかなくても組み合わない物が出てくるだろうと思っていた。


でも彼女は本当に、本当にものすごく私達を助けてくれた。
できない事はできないと言ってくれる。でも、提携している
会社に掛け合って、なんとか予算内に押さえてくれたり、
おまけを付けてもらったり。彼女は「私達の披露宴を最高
の物にしたい」その為に全力をつくしてくれている。その事
ががんがん伝わって来た。会場の飾りも彼女がしてくれた。
私がスライドショーに手間取っていると、「もし無理なら至急
写真を送って!私がなんとかするから!」と言ってくれた。
彼女は物を売っているんじゃない。幸せを作っているんだと
心から思い知らされた。



私達の、そして彼女にとって最後の担当披露宴が終わった後、
彼女が教えてくれた。「もし、披露宴が終わった後、辞めたく
なくなったらどうしようかと 怖かった」と。そしてこう続け
てくれた。「でもね、ともみちゃんとまーちんの披露宴を終え
みて、そんな気持ちが全然生まれて来ないの。自分の思い描い
ていた最高の披露宴ができたから。本当に幸せだよ」



私は彼女の人生の転機に立ち会えて本当にうれしい。そして
どんどん上へ進んでいく彼女のキャリアをずっと応援して
いきたい。


**************************

では、2月11日に戻って、朝7時45分。私は車で送って
くれたシスツーとエルダンジュに着いた。






いい天気。

他の家族はまーちん達が前泊していたホテルに寄って、
彼らを乗せて来てくれる事になっていた。花嫁は準備に
時間がかかるので、先に別で送ってもらう事になったの。


2日前、名古屋は大雪になった。予約行き違い事件(<ー旧
『とも と まーちん』へジャンプ!)で11日に行われる
事になった私達の披露宴の当初の予定は9日だった。規制
されていた高速道路や水っぽい雪でいっぱいだった道を思う
と、11日に変更になったのも運命だったかしらと思わず
にはいられない。前日も綺麗に晴れた為、雪は姿を消し、
当日には地面も乾いていた。和装で神社へ参拝を予定して
いた私達は本当にほっとした。


会場に入るとすぐにヘアとメークが始まった。


IMG_0739_2.jpg






人気ブログランキングへ<ー日本の雪は久し振りに見たね。
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テーマ:国際結婚 - ジャンル:結婚・家庭生活

【2008/05/03 13:09】 | 日本披露宴レポート | コメント(0)
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